【この本を読んだきっかけ】
仕事、データ分析、筋トレ、読書、サウナ、お出かけ、旅行、家事、食事、睡眠。
など1日にやること・やりたいことは山のようにある。
1つの事を続けているとまた新たに関連したやりたいことが出てきて、
それが指数関数的に増えてくる。
1日に1つ取り組んで、やる・やりたいことが3つ増えるとすると、
いっこうに終わらない。そんな感覚で生きている。
効率よくこなそうとすると心の余裕をなくすし、
心の余裕を優先するとあまり進まず達成感を感じることができない。
そういった思いからこの本を読み始めた。
【本に書いてあったこと】
現代人は自分の時間を増やせても、昔よりもイライラしている。
時間が空いても何をすればいいのかわかっていない。
空いた時間も有効活用しようとして何かをやろうとする。
ベルトコンベアの上に5分、15分、30分、60分という
箱が流れてくる。その箱に何かを入れないと気が済まない。
すべてをやろうとすると、何を優先するかに向き合わなくなる。
ハイデガーいわく、自分の時間は限られているのではなく、
自分とは限られた時間である。
今は未来でも過去でもなく今の一瞬一瞬の積み重ねだ。
現代の余暇の過ごし方に疑問を呈している。
余暇をまた働くために過ごすというもの。
余暇は大切だ。何故なら経済を回すために。
これらはおかしな話である。
何故、働くために、経済を回す前提で余暇を過ごさなければならないのか。
余暇は何もしない。
宗教では、余暇は何もせずに
今自分がここにいることを感じるために安息日を設けていた。
中年になると、将来のために備えるという理由で行動できなくなる。
自分のしたい・やりたいから目を背けていると、
何をしてよいのかわからなくなってしまう。
落合陽一さんが、どこかのメディアで「脊髄で生きる」と言っていたが、
そういうことなのかもしれない。
【この本を自分事で振り返ってみた】
今までは自分ではそんな自覚はなかったけれど、
何となく周りに流されて生きてきたと認識するきっかけになった。
「生産的に生きよう」「ワークライフバランス」「安定した仕事につこう」
「収入を増やすために自己投資をしよう」「充実した休日を過ごそう」
これについて自分でよく考えていなかったなと。
自分に取って都合のいい言説を自分の想いとして、
建てていたんだなと。
時間を上手く使わなきゃ。
自分に取って最適な時間を過ごさなきゃと思ってしまっていた。
だけれど、そんなものは存在しない。
自分に取って何が大切か向き合わざるを得ない場面では、
SNSというユートピアへ逃げ込むか、
全てをやろうとして細かいタスクをせっせかこなしていた。
大切なのは、こうした問題について考え続けることなんだと思う。
悩み続けるのは非常につらいけれど、
短時間でモノを買って、解決するような話ではない。
時間がかかるものは相応にしてかかるものだ。
もっとわがままでなくわがままに生きていいんだなと。
この本を読んで想起したのが、
この世界は無だ。希望なんてないということ。
絶望を受け入れて初めて文明化された自分が死ぬ。
まるでマトリクスでいう”赤い薬”を飲んだような感覚を得た。
この本を読んでどんなアクションをしているかというと、
今までは”自己啓発本”や仕事で使う”専門書”ばかり読んでいた。
しかし、図書館を散策して純粋に気になった本を手に取って読むようにしている。
今は脳科学や遺伝子についての本、暗号の本。
今まで大学で学んでいた物理学科(宇宙系)でもなく、仕事(ネットワーク系、仕事術)でもなく、手に職をつけたいと思っているデータサイエンスでもない。
自分の欲望は、本当に自分の欲望なのだろうか。
考える葦として私は生きていきたい。