私は、どちらかといえば静かな人間だと思う。
多くを語らず、誰かに自分を強く主張することも少ない。
だけど、それは何も考えていないからじゃない。
むしろ、静かなぶんだけ、たくさんのことを心の中で咀嚼している。
何かを始めるときは慎重だ。
「これをやる意味はあるのか」
「本当に続けられるか」
「自分らしい道とは何か」
そんな問いを心の奥で繰り返す。
人から見れば、慎重すぎて遅く見えるかもしれない。
でも、私にとってはその一歩がとても重く、大切なのだ。
時間がかかっても、自分の納得がないまま前には進めない。
だからこそ、一度始めたことは途中で投げ出したくない。
小さくても続けることに意味があると、私は信じている。
たとえ誰にも見られなくても、成果がすぐに出なくても、
自分で決めたことを自分で守る——それが私の誇りだ。
他人の派手な成功やスピードに目を奪われることもある。
でも、自分のペースで、自分の道を歩むしかないとも思っている。
なぜなら、私は「静かだけど、意志のある人間」でありたいから。
この性格は、損なようでいて、強さでもある。
誰かの光になるより、自分の影に向き合えること。
答えを急がず、問いとともに生きられること。
それが、私の静かな強さだと思っている。
けれど、その静かな強さも、放っておけば簡単に揺らいでしまう。
気づけば流され、忘れ、誰かの価値観に合わせてしまうことだってある。
だから私は、その意志を守るために、毎晩日記を書く。
といっても、かっこいいことを書いているわけじゃない。
ほんの数行、その日感じたことや、小さな出来事を書くくらいだ。
でも、それだけで、自分の思考が整理される。
今日という一日が、ただ過ぎ去るのではなく、自分の中に残っていく感覚がある。
特に、嫌なことはなるべく書かない。
自然と、「じゃあ今日は何がよかった?」とポジティブな側面を探すようになる。
それが、ほんのささいなことであっても——
たとえば、美味しいコーヒーを飲めたこと、空が綺麗だったこと、
あるいは、昨日よりも少しだけ集中できたこと。
それだけで、「今日も悪くなかったな」と思えるようになる。
そうやって記録を重ねると、いつの間にか小さな自信になっていた。
「ああ、自分はちゃんと続けられているんだ」
「静かでも、前に進んでいるんだ」
日々のログは、自分を奮い立たせるためのメッセージじゃない。
むしろ、揺らぎそうな自分に「大丈夫だよ」とそっと肩を叩くような、そんな存在だ。
起業という言葉の前に立つと、いつも心がざわつく。
本当にできるのか、意味があるのか、自分らしくいられるのか。
だけど、そんなときも私は、静かにペンを取り、また書く。
迷いながらも続けるその記録こそが、私の意志の形なのだ。
