先日、インフルエンザに罹った。
熱そのものもつらかったが、それ以上に堪えたのは、何も食べられないことだった。
体が弱っていくと、気持ちまで一緒に沈んでいく。
食べられない、動けない、会話もできない。
静かな部屋の中で、気づけば自分の中がひどく暗くなっていた。
正直、このまま消えてしまいたいとすら思うほど、心は落ちていた。

そんなとき、イヤホンで坂本龍一さんの「Aqua」を流した。
あの最初の音が鳴った瞬間、見ていた景色が一度ほどけた気がした。
マジックアワーが終わりかけた、紫色の空を見ているような時間だった。
刑務所の独房みたいに閉じたはずの部屋なのに、その静けさごと、なぜか少し美しいと思えた。
沈みきった心が、公園を歩いて木々を見上げて、深呼吸したときのようにふっと軽くなる。
音楽に救われるとは、こういうことなのかもしれないと思った。
Bebu Silvettiの「Piano」も、同じように深く残った。
もの悲しいピアノのメロディが、こちらの気持ちをそのまま代弁してくれているようだった。
誰かに理解された、というより、音のほうから静かに寄り添ってきてくれる感じがした。
どこか昭和のレトロな空気もあって、僕が経験しなかったもうひとつの人生を、ふと見せられているようでもあった。
ヨハン・シュトラウスの音楽には、また別の救われ方があった。
頭の中には、普段は仲が悪いくせに、なぜか一緒に居座っているいくつもの声がある。
そういう内側のざわつきが、大きなホールで一斉に踊り出して、最後には仲直りしてしまうような感じだった。
ぐちゃぐちゃだったものが、音楽の中でだけ、ちゃんと調和していく。

そして、以前一人旅をしたときのことも思い出した。
どうしようもなく孤独だった日に、偶然立ち寄った美術館でシャガールの絵を見た。
特に「グランド・パレード」の前では、しばらく動けなかった。
明るい色なのに、うるさくない。焚火みたいに、少しずつ少しずつ心を温めてくる。
人も動物も楽器も、みんなやさしそうにこちらを見ている。
見ているうちに、張りつめていたものがほどけて、涙が出た。

それ以来、僕は芸術に何度も救われてきたと思っている。
気分が沈んだとき、音楽はそっと近くに来る。
孤独なとき、絵は言葉より先に触れてくる。
うまく言えないけれど、僕にとって芸術は、気分が悪いときだけ頼るものではなく、何度も何度も自分を連れ戻してくれた存在だ。
これから先も、きっとまた落ち込む日がある。
それでも僕は、音楽を聴き、絵を見に行くたびに、少しだけ呼吸を取り戻せる気がしている。
だからこそ、僕はこれからの人生でも、芸術を大切にしていきたい。
